貴方には、大切なものはありますか?
大切な人は居ますか?
―――大切って、形にするのは難しいよね。
■1.東から吹く風■
夜中に目を覚ますと、まだ明かりがついている。眠い目をこすりながら、何があるのか確かめる。そこには、真剣な表情の兄の姿。これは誰?
『エルシー…』
不意に、重なったその姿。不安、不満、不快!
私の知らない人。私を必要としない人。
「…イヤよ。背中を見送るなんて、してあげない。そんなの、許さないんだから…」
無理に眠りに落ちた。それでも、夢なんて見ない。夢なんて、見なければ変わらずに居られるのに。
「エルシーさん。今日も『アロワナ』で歌うんですか?」
「…また、貴方なの。こんなに毎日人を待ち伏せして、何が楽しいのかしら?」
「楽しい…というのは、違いますよ。僕は貴方を知りたいだけなんだ」
毎日、自宅から店までの間の道で待ち伏せられ、そのまま店まで付いて来る。
一体、この男は何なのだろう?
「エルシーさんは、夢とかってないんですか?」
「無いわ。見たくないの、そんなのは…」
「あんな店にいるのは勿体無いですよ。それに、結婚詐欺のような真似までして…貴方にそんな生活は似合いません!」
無視して歩こうと思ったのに…!『そんな生活』しかできなくて、それでも私は精一杯生きてるのに!
「貴方には解らない!似合うかどうかは私が決めることだわ!」
平手打ちを浴びせる。掛けていた眼鏡がずれる。
「そうかな?少なくとも、僕なら貴方を光の中に立たせてあげられると思うんですけど…」
「お生憎さま。私は夜の闇に生きる女なの。ありえないし、そんなの無理よ」
どんな事をしても働かないと、生活なんてできない。仕事を選べるような身分じゃない。それに…
「お母さん…」
母親を取り戻すにはお金が必要だった。実の父親の残してくれた物は借金だけだった。生活の為に、母親は盗賊上がりの男と再婚した。それが結果として不幸をもたらした。男は働くどころか遊んでばかり、酒とギャンブルばかりに金を注ぎ込み、家庭を顧みなかった。酔うと暴力も振るった。それは母親だけでなく、子供達にも及んだ。そんな時、エルシーを庇ってくれたのは兄のシヴィラだった。
『エルシーは女の子なんだ!顔に傷がついたらアンタ責任取れるのかよ!男は女を守る為に存在するんじゃないのか?それが暴力?力で訴えるってのは逆に惨めだよ、アンタ!』
――決して強くない男である。それでも、エルシーを守る盾は壊れなかった。
『俺達は二人で生きていく!アンタの世話はもう受けないし、たくさんだ!』
あの日から、親の居ない子供だけの生活が始まった。見つけた仕事だけでは生活が出来ず、盗みを働いたりもした。身体が大きくなり、大人びた頃、二人は自分達が周りにどう見えるのか自覚した。
『エルシーはちゃんとした教育を受けるべきだ。俺が働いて稼ぐから…』
シヴィラの選んだ仕事はホストだった。彼は巧みな話術と生来の美貌、そして彼の持つさりげない優しさによってたちまち人気は上がった。半年もすると、暮らし向きは随分と良くなった。エルシーはそんな兄がこっそりと本を買って読んでいる事を知っていた。それはエルシーの読めない国の言葉で綴られた学術書だった。本当に教育を受けたかったのは兄のほうだったのだ…。
「解放してなんかしてあげない…重荷だって、足枷だって良い…もう、置いて行かれるのはヤダよ…一人はイヤ…」
学校を卒業してから、エルシーは酒場で歌を歌った。客の酒の相手などは絶対にしない。歌を売るのだ。歌声に酔い痴れる者には一時の夢を与えた。
愛されたいと願うなら、
愛など知らないフリをすればいい
近付くほど遠く、心を隠せ
人は手に入らないものに焦がれる
月を欲しがる子供のように…
ユラリ、ゆらぐ、水面のように、
サラリ、そよぐ、夜風のように、
愛に溺れてこの身を晒せ、
恋に迷って心を浚え
一夜の夢なら今宵咲く
永久の夢なら儚き幻…
父親の残した借金を全て返済し終わった時、母親はこの世には居なくなっていた。痩せて小さくなった母親の姿を見て、愛する事は愚かだと思った。
――同時に、怖いと思った。
「母さんは馬鹿よ…」
土の下に眠るその人に同情する。
「そうか?俺は…わかる。自分なんかどうだって良いんだ。大切な人が幸せなら…その人を守れるなら…俺は、そう思うよ」
そういって微笑む兄の姿にエルシーは寂しくなった。自分だけが世界を閉ざしている。けれど、一度閉じてしまった扉を開くのは勇気が必要だった。
(解らなくても良い…それはきっと怖い事。自分を無くしてしまうほどの感情なら要らない!)
家に帰ると手紙が来ていた。
「何、これ?」
「何だ?」
『シヴィラ=レイク様、貴殿は【サバイバー】の参加者に選ばれました。つきましては…(以下略)』
「エルシー、これって…」
「二人揃って出られるって事?」
この世界には【サバイバー】という名の世界的イベントが数年に一度開かれる。それは成功への第一歩、日の光の下へと誘う切符だった。
「出てみないか?もしかすると俺達、新しい何かが掴めるかもしれない…」
「…そうね」
――この時、何故自分は同意したのか?
エルシーは不思議に思った。それはきっと東風が吹いていたから。新しい世界が彼女を見えない力で引き寄せたのだ。
久し振りの『サバイバー』関連の小説です。
大分前にかいてたんですけど、長らく『月刊・ラー●』も出ない事ですし、サイトに回しちゃえという事で体裁を整えてアップしました。
この先の話がどう続くかどうか分かりませんが、(何せ随分記憶が無くなってきてるんで)捏造したりしながらゆっくり書いていきたいですね。
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